教育・文化 [青少年健全育成]  2016.10.03

「第30回少年の主張会津若松市大会」を開催しました


武内優貴さん.JPG 

平成28年8月4日(木)文化センターにおいて、第30回少年の主張会津若松市大会が開催されました。

 市内の小中学校から33名のみなさんが、日頃感じていることや多くの人に聞いてもらいたいこと、夢や希望、社会への提言などを発表しました。小学校の部、中学校の部でそれぞれ3名の方が最優秀賞に輝きました。(最優秀賞6名の方の発表作文を掲載しています。)

 今年度はアトラクションとして、若松第二中学校特設合唱部の皆様による合唱の披露が行われ、大会に華を添えていただきました。 

 また、9月27日(火)に開催された第38回少年の主張福島県大会では、河東中学校3年武内優貴さんが、優秀賞に輝きました。           

小学生の部

  

No. 学校名 学年 氏名 題名
 河東学園小学校 6年 野澤  琴 物語にひかれて
会津若松ザベリオ学園小学校 6年 鈴木 国光 かわいそうじゃない
 鶴城小学校 6年 葛岡 佳音 当たり前じゃない今の生活

城北小学校

6年 猪亦 慧 関心をもち続けたい

 行仁小学校

6年 平山 裕翔 自然、生物、そして人
 城西小学校 6年 鈴木 美優

大好きなサッカーと大切な仲間たち

 謹教小学校 6年 佐藤 礼都 話すことの大切さ
 日新小学校 6年 皆川 正行 よみがえるぼくたちの街
湊小学校 6年 小坂 真人 風は湊の宝物
10 一箕小学校 6年 作山 綾音 「生きること」について考える
11  松長小学校 6年 濱田 志生 将棋がぼくにくれた力
12  永和小学校 6年 鈴木 瞳衣 夢は一番星
13  神指小学校 6年

柴 伊澄

命を預かる責任
14  門田小学校 6年 藤田 遥帆 動物の命と向き合って~私にできること~
15 城南小学校 6年 芳賀 太一 僕はバイリンガル
16 大戸小学校 6年 井上 琉那 進め、女の子
17  東山小学校 6年 赤崎 由聖 知っていますか子ども用車いす
18  小金井小学校 6年 江川 舞 科学者として守る地球の未来
19 荒舘小学校 6年 武藤 桃

命の大切さ

~おばあちゃんから学んだこと~

20 川南小学校 6年 長田 夏歩 本当の「ホタルの里」に

 

 

 

◎最優秀賞 『話すことの大切さ』     謹教小学校 6年 佐藤 礼都 さん

 
 もういやだ。ぼくは、話すのがきらいだ。なぜなら、思うように話すことができないからだ。次こそ失敗しない。そう、心に決めていたのに。また、聞かれたことに答えられなくて、知らんぷりをしてしまった。だから、
 「何で無視するの。」
と、友だちをおこらせてしまったのだ。無視したいんじゃない。ぼくは、話し方が頭に浮かばないのだ。「ごめんね。」と、心の中でまた謝る。ぼくは、そんな自分がきらいだった。自分を責めてばっかりだった。
 そんなある日、先生に、
 「単語で話すのをやめなさい。文章で話しなさい。無反応で聞いていないで、反応しなさい。」
と教えられた。家に帰って母にそのことを話すと、母も、
 「お母さんや担任の先生のように、あなたのことを何でも知っていてくれて、単語だけの会話でも通じてしまう人もいるけれど、世の中に出て行くにはきちんとした話し方をしないと気持ちが通じないからね。」
と、同感してくれた。
 うちは商売をやっている。母はお客さんとの会話をとても楽しんでいるように見える。それに母は、商品の説明が分かったのか分からないのか、お客さんの反応を見ながら話をしている。「なるほど、そういうことか。」とぼくは気付いた。
 ぼくはそれから、上手に話すことについて研究した。まず、人の話し方を見るようになった。それから、先生に言われた、文章で話すこと、反応しながら聞くことを、いろいろな場面でやってみた。
 そんなことを繰り返していくうちに、どうすれば自分の思いを相手に上手に伝えられるか、分かりはじめてきた。自分が伝えたいことが伝わるというのは楽しかった。なぜなら、自分の考えが相手に伝わると、相手と話すことが増えて、相手の気持ちも知ることができたからだ。相手の気持ちが分かると、どんどん話し合うことができて、もっとくわしく相手を知ることができて、それが楽しくて楽しくてしょうがなかった。そして、ぼくは初めて、話すことが好きになったのだ。
 話せるようになって、ぼくは友だちがグンと増えた。友達が増えるとにぎやかになる。いつも心が温かい気がした。そういう生活がぼくは大好きだということも分かった。
 でもある日、ぼくは話すことには、こわいところがあると気付いた。それは、言葉は相手の心を傷つけることがあるということだ。それを知ったのは友だちと遊んでいるときのこと。ちょっとしたことでケンカになってしまった。そこで言ってしまったひどい言葉。ぼくの口から出ていったその言葉は、友だちに刺さった。言葉は消すことができない。あともどりができない。言われてしょんぼりする友だちと、言ってしまってしょんぼりするぼく。心の中で、「くそ、言うんじゃなかった。」と、ものすごく後悔した。
 そのぼくができることは、後悔の気持ちを伝えること。心から謝ることだった。
 「いいよ。」
と許してくれた友だち。とても気持ちのいい言葉だった。
 話すことが大嫌いだったぼく。話し方が分からなかった。何を言えばいいか頭に思い浮かばず、相手に失礼な態度をとっていた。でも、先生や母のおかげで話し方を知った。自分の経験から、言葉のおそろしさも知った。
 ぼくは今、話すことがさらに好きになっている。話す言葉を間違えれば、人を傷つけてしまうこともあるが、話すことで、人の心を温めることもできるんだ。これからもぼくは、言葉を大事にして人と話し、人とのつながりを大事にして過ごしていきたいと思う。
 
 

◎最優秀賞 『動物の命と向き合って ~私にできること~』     門田小学校 6年 藤田 遥帆 さん

 

 「えさがたくさん浮いている。どうして。一体、だれが…。」
 一学期の朝のことでした。学級で飼っている金魚の水そうに大量のえさが浮いていたのです。生き物係の私は、すぐに水そうのよごれをきれいに洗い、新しい水に取り替えました。水そうをきれいにしながら、悲しみと怒りがこみあげてきました。そして、それは、ずっと前から私の中でくすぶっていた疑問と重なっていきました。
 かわいがっていたペットをどうして捨てる人がいるのでしょうか。これが私の一つ目の疑問です。近所でも捨て犬や捨て猫を何度か見かけます。まだ産まれたばかりの小さな小さな子たちです。私はすぐにでもその子たちを家に連れ帰ってお世話をしたいと思いましたが、私の家ではペットを飼うことが難しいのです。
 「ごめんね。」
と苦しい思いを胸に秘め、その場を立ち去るしかありません。私のようにペットを飼いたくても飼えない人もたくさんいるでしょう。もしかしたら、産まれたばかりの子犬や子ねこを捨てるしかなかった事情があって、泣きながら捨てていったのかもしれません。
 でも、もしそうだとしても、私は言いたいのです。ペットを飼うということは、動物の命を預かることであり、飼い主としての責任があるということを忘れてはいけないのだと思うのです。
 保健所では一日に数十万匹の動物が処分されているそうです。その中には私が近所で見たような産まれたばかりの小さな子犬や子ねこもいるといいます。目も開かず、母親も分からないうちに命を落とさなくてはいけないのです。動物の命はこのように軽いものなのでしょうか。殺されてしまう動物を減らすにはどうしたらいいか。私もよく考えます。外に出さない。ちがう性別の動物を飼わない。もしどうしても飼えなくなったなら里親をさがす。他には何かあるだろうか…。
 動物の命の重さを考えた時、もう一つの疑問が浮かんできます。病気になったペットを病院にも連れていかず、死なせてしまう飼い主がいること。人間なら病院での治りょうを受けるけれど、動物は仕方がないのでしょうか。治してあげたいという気持ちはないのでしょうか。
 私は実際に、このような無責任な飼い主と話したことはありません。会ったこともありません。ですから、本当の気持ちは分かりません。でも、それでも、私はやはり伝えたいのです。動物の命と飼い主としての責任を常に考えながらペットと生活をしていくことが必要なのではないでしょうかと。
 学級の生き物係として、二学期、私は友達に呼びかけてみようと思います。聞いてみようと思います。金魚の命を大切にするということはどういうことか。金魚を飼育することにはどういう責任があるのか。そして私も金魚の飼い主として、しっかりと考えてみようと思います。家でペットを飼えない私ができることは少ないかもしれませんが、悲しみや怒り、非難で終わらせるのではなく、私にできることを一つ一つ取り組んでいこうと思います。
 そして、私の夢である「獣医になりたい」という思いを確かなものとして積み上げていきたいと考えています。獣医になりたいと思ったきっかけは、捨て犬や捨て猫を見て、その命を助けてあげたいというものでした。少しでも多くの命を助けてあげたいと思ったのです。今はできないことが将来はできるかもしれない。そう思っていました。でも、今は少し違います。自分の力と心を高めながら、本当の意味で動物の命を大切にできる獣医になりたいと強く思っています。命と向き合うことのできる責任ある獣医を目指します。

 

◎最優秀賞 『僕はバイリンガル』     城南小学校 6年 芳賀 太一 さん

   
 「ほら、だがらあわでんなつうのによお。ぶんまぐれだってしらねえぞ。」
あわてて階段を下りてくる僕に祖母が言う。僕の答えは当然、
 「さあすけねえ。」
だ。大丈夫と答えるよりも、さすけねえの方が返す言葉にぴったりだ。なんか温かく感じるのだ。(そうでねえが。そう思うべ。)そう、こんな祖母とのやりとりを聞いて、周囲の人たちは、
 「太一君はいいね~。」
と決まってそういってほほえんでくれる。僕は、その意味が全くわからなかった。その謎が解けたのは、家庭科の授業中のことだった。家庭科の調理のために準備物のことについて話をしているときだった。先生が、
 「包丁のことを会津ではなんと言っているか知っていますか。」
という質問をされた。僕はとっさに、
 「ほいじょ。」
と答えた。当然みんなが知っていると思ったのに、誰も答えられなかったのが不思議だった。そんな僕に、先生はうれしそうに質問を続けてくる。
 「じゃあ、スプーンは。」
 「しゃじ。」
みんなの拍手喝采を浴びてしまった。先生はうれしそうに感激している。なぜ知っているんだというみんなの視線。なぜみんな知らないんだと僕。僕は、ふと家族との会話を思い返した。家で話している言葉と学校で話す言葉が違う。じいちゃん達と話す言葉はアクセントから中身までまるでちがう言葉、つまり会津弁だ。
 僕の家族は、父と母と弟、祖母と祖父それから曾祖母の七人だ。父母は共働きなので、僕は祖父母に育てられた。だから、会津弁でおじいちゃん達と自在にやりとりができるのは僕にとっては当たり前のことなのだ。それなのに自在に話すことができることがうらやましいなんて不思議だ。(えっ、みんな会津弁で話さねえのが。会津で生まれて会津で育ってなんでわかんねんだ。)でも、そういう僕もいつも会津弁で話すわけではない。今、ここで話している言葉は共通語だ。(んだべ。)
 学校では、主に共通語を使っている。放送委員として校内放送をするときは、テレビで話す言葉を真似て、丁寧に落ち着いて話すように心がけている。友達は、
 「教室とは違ってきれいに話すね。」
とほめてくれる。それが自慢でもある。
 でも、これでよいのか。祖父母は、僕たちより年をとっている。会津弁を話す人達が高齢であり、だんだんいなくなってしまうのだ。今の僕たちが受け継いでいかなかったら、会津弁を話す人達がいなくなってしまう可能性がありはしないか。(それでいいがま。よぐねえべ。)
 無形文化財というものがある。これは演劇・音楽などの無形の文化的所産を意味し、歴史上・芸術上価値の高い物だそうだ。会津弁もいわゆる無形文化財の一つではないのか。
 会津若松市の七日町駅周辺では、観光客相手におばさん達が会津弁でもてなしている。
 「おあいなんしょ。おじゃでものんでいがんしょ。」
そういわれて、都会のお客さんが驚きながらも、笑顔でお店に入っていく様子を見て、僕はとてもうれしい。共通語にはない言葉の持つ力が、お客さんを店の中へと招き入れるのではないか。
 共通語は、これから社会に出て行く僕たちにとって必要な物だ。しかし、会津の文化を残す上で、会津弁は最も重要ではないか。会津に生まれた僕ができることは、会津弁と共通語を使い分けるバイリンガルとして、後世に大好きな会津の魂を伝えることだ。
 会津弁はいいなっし。おら好きだなあ。
 

 

中学生の部

 

学校名 学年 氏名 題名
一箕中学校 3年 若菜 美優 心のつながり
大戸中学校 3年 小林 琉奈 戦争を起こさないために
北会津中学校 3年 川井 珠里 考え方を変えれば
河東中学校 3年 武内 優貴 故郷の誇り
会津学鳳中学校 3年 菊地 大翔 「助け合う心」
会津若松ザベリオ学園中学校 2年 荒井 宥希 オタク迫害について

第一中学校

3年 佐々木 朋音 男女が共同で活躍できる社会を目指して
第二中学校 3年 佐藤 眞樹 アメリカへの一人旅

第三中学校 3年 鈴木 七海 家族とともに生きる
10 第四中学校 3年 目黒 紀至

精霊たちの見つめるもの

~自然との共生を目指して~

11 第五中学校 3年 山田 優芽 自分探し ~言葉から学ぶ~
12 第六中学校 3年 皆川 剛毅 「出征旗、戦争を伝えること」
13 湊中学校 3年 岩沢 藍梨 言葉が持つ不思議な力


 

◎最優秀賞 『故郷の誇り』     河東中学校 3年 武内 優貴 さん

 

 忘れないでほしい。思い出してほしい。それが私の願いです。
 中学三年生になった私は、七月のある週末五年ぶりに家に帰りました。十五歳にならないと帰れない決まりがあるからです。福島県双葉郡大熊町、そこが私の故郷です。あの日、東日本大震災と原発事故によって、私達は自分の家へ帰るのに許可と年齢制限を強いられるようになりました。
 避難生活を始めて、今の河東に来るまで、都路村や船引町を転々としました。途中、両親と離れ離れになることもありました。会津での生活は、雪のない浜通りから来た私にはとても新鮮だったし、たくさんの仲間や友達に恵まれて、楽しく過ごすことができました。でも、たまに昔のことが思い出されると、心だけが制限を超えて故郷に飛んでいき、私は十五歳になるのが待ち遠しくなりました。十五歳は、一時帰宅が許される年齢です。一時帰宅という言葉、皆さんは覚えていますか?
 父の車で大熊町に向かう途中、私達は双葉町にある祖母の家に寄りました。古い家が持つ、あの何とも言えない独特の雰囲気が私は好きでした。伸び放題の草を踏みわけて進んでいくと、大好きだった双葉のばあちゃんの家は、荒れ果てていました。窓ガラスが割れ、中はめちゃくちゃ、もしかすると泥棒が入ったのかもしれません。あまりの変わりように私はショックで、何も言えませんでした。
 大熊に向かう車の中で、ふと、二つ上の幼馴染が先に一時帰宅した時のことを思い出しました。彼女は変わり果てた自分の家の姿を受け止めきれず、車から降りることができなかったそうです。そこで私は開き直ることにしました。何を見ても気にしないでいこう、変わっているのは仕方ないと考えよう、と心に決めたのです。
 その瞬間、私の目に懐かしい光景が飛び込んできました。通っていた小学校、そこに貼り出された自分の名前、ピアノ教室に行く途中で毎回見ていた看板、当たりが出るまでおやつを買った行きつけの駄菓子屋。「ああ、やっぱり私の故郷はここなんだなあ。」と胸がいっぱいになりました。
 いよいよ、五年ぶりの帰宅です。ドアを開けて「ただいま。」と言いました。防護服の暑さで体はベタベタでしたが、昔遊んでいた人形や思い出の絵本が私を待っていて、とても幸せでした。ただ、今回は持って帰れませんでした。置きっ放しだった物には放射性物質が付着しているかもと言われたからです。
 帰り道、父は私を海に連れて行きました。浜の風に心地よさと懐かしさを感じながらも、あの日見た津波の光景が思い出され、心が苦しくなりました。
 あれから五年。東日本大震災はまだ終わっていません。
 故郷に帰れないでいる人、諦めるしかない人はたくさんいます。復興のため、被災地で今も戦っている人、耐え抜き苦しみ抜いている人がたくさんいます。それなのに、震災がもう過去のことと思い込み、「賠償金たくさんもらってるんでしょ。もういいじゃん。」と言ってくる人がいてとても悲しくなりました。いくらお金をもらっても、いくらそのお金で再スタートを切ることができても、故郷の姿がもう元にもどることはありません。故郷を忘れることはできません。いえ、私達はあの震災を忘れてはいけないのではないでしょうか。
 忘れないでください。あの日、大津波と原発事故が福島を襲ったことを。
 忘れないでください。「がんばっぺ福島」を合言葉に、福島の人達が立ち上がったことを。
 そして皆さん、時には思い出してください。故郷の誇りをかけて頑張るあなた自身のことを。

 

 

◎最優秀賞 『出征旗、戦争を伝えること』     第六中学校 3年 皆川 剛毅 さん

 
 みなさんは「出征旗」という物を見たことがありますか。「寄せ書きの日の丸」とも言われていますが、太平洋戦争中に出征する兵士の武運を祈って身近な人が寄せ書きをした日の丸のことです。兵士はこの寄せ書きされた日の丸をお守りとして出征し、戦ったそうです。最近では、戦死した兵士から、アメリカやイギリスの兵士が戦利品として奪った「寄せ書きの日の丸」が海外のネットオークションに出品され、問題となっていることがニュースにもなりました。
 僕は先日、この出征旗を手にとって見る機会がありました。その出征旗は、僕の曽祖父のものです。七十年前に曽祖父はその出征旗を持って仙台の連隊へ入隊しました。七十年前の曽祖父の出征旗を手にした僕は、ものすごい衝撃を受けました。家族を残して戦地に行かなければならない曽祖父はどんな気持ちだったのでしょうか。会ったことのない曽祖父の悲しみが、出征旗に触っている僕の手に直に伝わってきました。寄せ書きされた旗には「バンザイ」と書かれてありました。なにがめでたくて「バンザイ」と書かれているのか、僕には理解できませんでした。これは母から聞いたのですが、「自分の父親が戦地に行くのにバンザイなんて書きたくなかったのに、無理矢理書かされた」と祖母が言っていたそうです。自分の父親が死ぬかもしれないのに「バンザイ」と言って戦地に送り出さなければならないのです。戦争ではこんなに辛いことが起こるのです。僕は戦争についてなにもわかっていませんでした。
 曽祖父は、仙台での訓練中に大怪我をして、戦地のフィリピンに行けなくなりました。曽祖父の所属していた部隊が乗った輸送船は、フィリピンに行く途中に敵の攻撃に遭い沈没し、多くの戦友が亡くなったそうです。彼らの死は、何のためのものだったのでしょうか。
 七十年前に僕の想像を超えることが起こっていました。あの出征旗を目にしていなければ、戦争の悲しみや苦しみをこんなに身近に感じることはできなかったでしょう。実際に触ってみることで、僕は、戦争を伝えることの大切さを感じ、戦争を伝えるための資料や方法についても考えるようになりました。
 僕は小学四年生の時に広島に行きました。僕に戦争のことや原爆のことを教えたいという両親の思いからです。その時に広島平和記念資料館で被爆を再現した人形を見ました。戦争の悲惨さを実感した初めての瞬間でした。その人形の恐ろしさを今でも忘れることができません。この人形については、僕のように怖がる子が多いから展示をやめたほうがいいという意見や、原爆被害の現実は、この人形よりもはるかに悲惨だったから、実態が軽く受け止められかねないという声もあったそうです。こんな風に、戦争の悲惨さを伝える資料も、見る人によってその受け止め方は変わってきます。どう伝えればすべての人に、二度と戦争は起こしてはならないと思ってもらえるのか、伝えることの難しさを感じます。
 今年の八月六日、僕の学校からも代表の生徒が一人、平和記念式典に参列します。彼女は僕が見た平和記念資料館の人形を見ることができるのでしょうか。もし人形を見たらどんなことを感じるのでしょうか。夏休みが終わったら、教室でそのことを話してみたいです。そういう話題を広げていくことが、大切なのではないかと思うからです。
 社会の教科書に数ページ書かれているだけでは、戦争の悲惨さは僕たちの世代には伝わっていかないと思います。僕たちの世代は、戦争を体験した人々の生の声を聞ける最後の世代です。僕たちにはその声を次の世代に伝える役目があります。その役目を果たすために、もう一度戦争について考えてみよう。戦争について知ろうと努力しよう。そして戦争を繰り返すなと訴え続けよう。今を生きる日本人として。
 

◎最優秀賞 『言葉が持つ不思議な力』     湊中学校 3年 岩沢 藍梨 さん

 

 「言葉とは、言わせてもらうならば、尽きることのない魔法の源じゃ。傷つけることも癒すこともできる力がある。」皆さんは、この言葉を知っていますか。これは、『ハリーポッター』という映画のワンシーンで、魔法学校の校長であるダンブルドア先生が発した言葉です。この言葉は、「私達にも魔法が使えるんだ。それは人を悲しませることも幸せにすることもできるんだ。」と、ひどく私を感動させました。この映画はそれまで何度も見たことがありますが、この言葉に「出会った」のは六月でした。なぜ、この言葉が私の胸を鷲づかみにしたのか。それは言葉の魔法を私自身が体験したからです。
 昨年の夏、私はある一冊の本と出会いました。それがこの『世界の見方が変わる数学入門』です。私は、この本と出会うまで数学が嫌いでした。数学は悪魔が人間を苦しめるために唱えた呪文のようでした。ところが、この本は私の数学に対する苦手意識を大きく変えてしまったのです。特に江戸時代に盛んだった「和算」の話が印象的でした。皆さんは『塵劫記』を知っていますか。江戸時代の数学入門書です。かけ算九九がこんなに簡単に書かれていて、しかも短くてわかりやすいのです。数学はおもしろい。この本を読み終えたとき、私にとって数学とは人類の大きな進歩と人類の素晴らしい技術の結晶であり、尊敬できるものになっていました。これが私が魔法をかけられた一つめです。
 そして昨年の十二月、私の数学に対する気持ちをさらに深めた出来事がありました。それは、学校で行われた「サイエンスセミナー」で桜井進先生と出会ったことです。桜井先生は、なんとこの本の著者だったのです。講演の後直接お会いすると、先生はこの本を手に取りページをめくりながら「この本は、僕の傑作なんだよ。」と、愛おしそうにおっしゃったのです。数学の魅力を多くの人に伝えることを使命とし、数学を愛してやまない桜井先生に出会えて本当に幸せだなと思いました。
 さらに、私もこの感動と本の魅力を伝えたいという思いが高まり、この本を手にビブリオバトルへ参加しました。ビブリオバトルでは、決勝戦へ進みチャンプ本に選ばれました。この本の魅力が多くの人に伝わったのだと思いとても嬉しかったです。これは、私が言葉の魔法を使えた瞬間だったかもしれません。
 そして中学二年生の冬。将来の夢が看護師から英語の先生に変わりました。その気持ちを引っ張り出してくださったのはある先生の言葉でした。英語の授業でQ&Aを紙に書いて交換する学習をしたときです。「Can you teach English?」と書かれたカードに、私は自信が持てず「No,I can't.」と答えました。それに対して先生は「藍梨さんは教えられるよ。」とコメントを入れてくださったのです。これで夢に自信を持つことができました。また、英語弁論に参加したことを認めてくださり、「来年もやるの?」と聞かれました。やりたいと答えると、「絶対英語の先生になると良いよ。」と言われ、その言葉が今も励みとなっています。また、別の先生は「先生の武器は、言葉。」とおっしゃったのです。私は、なるほどなと感心しました。確かに、先生は授業でも学校生活の中でも言葉の魔法を使っています。その魔法は時に温かかったり、厳しかったりします。しかし、その魔法は私達に、大切な何かを気づかせたり自信や勇気を与えてくれたりします。私の将来の夢を大きく変え、後押ししてくれたのも先生方からもらった魔法の言葉です。
 「言葉とは、言わせてもらうならば、尽きることのない魔法の源じゃ。」私も言葉の魔法を使って多くの生徒に夢を与えてみたいと思います。

 

 

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